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タレントの武井壮さんが自分の神と崇めているのがソクラテスだそうです。
「ソクラテスの弁明」を中学の時にすすめられて読んで以来、なんども読み直し、考え方の軸にしてきたということです。
私も中学時代にこの「ソクラテスの弁明」に出会っています。当時の記憶はあまりありません。無知の知の確認をしたくらいです(正確には不知の自覚)。
この50ページほどの文章をいい機会だとおもいあらためて読んでみました。
しかしながら彼は青年にアドバイスをしているというより、人の揚げ足をとりつづけて自分のいいたい方向に丸め込もうとする、最近流行りの情報商材屋さんや口先営業マンにみえてしかたありませんでした。
アドラー心理学でみると自己承認、つまり自己のアイデンティティの確認行為、こんな私でもいきていていいんだという確認行為にしか見えません。
彼の醜悪という見た目の劣等感からの暴走行為としての論破というのが現実的な解釈とおもえます。

ものをつくるという仕事の人から見ればあまり興味を注がれるものではありませんでした。
知らないを前提にするというのはデザイナーやプログラマーのあたりまえな仕事の構えであり、今更なんどもしかも抽象的に言い聞かせられることでもありません。
全部を知ることは不可能だとわかっているなかで、知っていることのなかでどう最善をつくすか、その具体策をどんどん作成し、実行することが大事なのであって、ソクラテスの時代のような情報量の少ない、のんびりした時代のやり方は基本は通用するかもしれませんが、あくまで基本はという話にしかなりません。
時間は有限ですので、その時間を削ってまで再読する必要もなかったというのが正直な感想です。
ジャーナリスト、立花隆の根幹といわれる、充足理由律(それがそうである理由をとう)、これだけでいいのではとおもいます。

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